Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation (CSIRO)
連邦科学・産業研究所
連邦科学・産業研究所は、国家の繁栄に重要な産業の発展を促進するための科学研究機関として1949年に設立された。1926年に設置された科学・産業研究協議会Council for Scientific and Industrial Researchを母体とする。オーストラリアに「ナショナルな研究所」をつくろうという動きは、1915年にまでさかのぼる。時の首相W. M. ヒューズはイギリス、カナダやドイツにならって、この計画に着手したが、ナショナルな組織の援助に消極的な態度を示す州もあり、1920年にようやく科学産業機関Institute of Science and Industryの創立にこぎつけた。これが、1926年に、当時の首相S. M. ブルースの後押しによって、より多くの権限を付与された科学・産業研究協議会に引き継がれたのである。
初期は、主に第1次産業に重点を置き、動物衛生学、動物栄養学、応用昆虫学、応用植物学、さらに土壌保全や漁業などに関する研究が行われた。政府内の各局や大学と協力して研究を進める当時のスタイルは、現在も変わらない。1936年の国家基準研究所National Standards Laboratory、航空学研究所や産業化学部門の設立によって、科学・産業協議会は、第2次産業にも関与しはじめた。協議会の研究は、第2次世界大戦によって必要とされた、急激な産業の発展に大いに貢献したといえよう。1949 年までに協議会は、世界最大の科学研究機関の1つとなった。
1949年、協議会が連邦科学・産業研究所に再編成された際、行政機構も見直され、人事決定権は、人事院Public Service Boardが持つことになった。その結果、従来のように科学者がイニシアティヴをとる方針は変更され、基礎研究よりも応用研究が重視されるようになった。1974年までに、研究所は約50の部局を持つまでに発展した。財源は主に政府が支出したが、企業や財団からの援助もあった。研究所は、第1次・第2次産業の振興以外にも、研究者の養成やさまざまなプロジェクトの助成金支給など行っている。研究領域も広がり、建築、化学工学、野生動物保護、放射線物理学、鉱物探査や毛糸、製紙に関する研究なども含まれる。なかでも、電波天文学や産業化学の研究は、国際的にも高い評価を得た。一般に最も知られているCSIROの活動は、1950年代のウサギ駆除にミクサマトウシス(粘液腫症)を用いたプロジェクト、人口降雨実験(これは成功したとは言い難い)、1961年のニューサウスウェールズにおける電波望遠鏡の設置などであろう。
水野祥子00