オーストラリア辞典
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Cooktown

クックタウン


クィーンズランド北東部、ブリスベンの北2,051キロに位置する。
人口:1,411(1996)、966(1986)、913(1981)、397(1947)、2,620(1891)、2,185(1876)。


 町の名は、キャプテン・クックが1770年にエンデヴァー号の修理のため、この地に6週間キャンプを張ったことにちなんでいる。クックと博物学者のジョゼフ・バンクス、ダニエル・ソランダDaniel Solanderのオーストラリアでの活動の多くはここで行われたものである。1819年とその翌年には、フィリップ・パーカー・キングとアラン・カニンガムがこの地を訪れ、マウント・クックへの登頂と命名を行った。白人の入植以前、この地域には、先住民グーグー・イマジアGuugu-Yimidhirrやグーグー・ヤランジーGuugu-Yalanjiの居住地であった。

 1872年から73年、パーマ・リヴァーで金が発見されたことを受けて、政府によりジョージ・ダルリンプルが港の用地選定のため派遣された。ちょうど同じ頃、ライカート号が資材と96人の人員とともに到着。クックス・タウンCook's Townが成立し、町は1874年までこの名で呼ばれることになった。1874年の報告によれば、クックス・タウンには550、オウクリー・クリークには400から500のテントがあった。また、この年までに税関、警察署や兵舎、多くのホテルなどが建設された。町の成立から半年のうちに人口は約4,000人となった。ゴールドラッシュの時期には、約3,000人の中国人がクックタウンに居住し、さらに2万人が町と金鉱との間を行き来した。1870年代半ばにはクィーンズランド第3の港となり、1875年には40トンの金が輸出され、1877年には133万ポンド相当が輸出された。しかし、1879年にはその額は33万ポンドに落ち込んだ。パーマ・リヴァー鉱床の金の産出量が減少するにともない、多くの鉱山労働者がニューギニアへと移った。

 金の採掘が衰えるにつれて、南部でのスズの採掘や港湾機能、漁業や農業が盛んになった。ニューギニア(後にはバーンズ・フィリップ)に最も近い港として、周辺の島々との貿易基地となった。1880年にはオーストラリアとインド間の郵便汽船の停泊地となった。1878年からナマコ漁が開始され、約450人の人々が漁に従事した。1888年にローラ行きの鉄道が開通した。第2次世界大戦中には非常に大きな役割を果たした鉄道は、1961年に廃止された。1920年代から30年代にかけて、町は不況にあえいだ。1934年にトミー・マクドナルドが最初のケアンズへの航空便業務を開始し、1936年にノース・クィーンズランド航空を設立した。第2次世界大戦の際には、多くの部隊がこの地域に駐留した。長く経済が停滞し続けたが、最近は観光による町の復興が進んでいる。しかし、ケアンズからの舗装道路によるアクセスがなく、観光開発による大規模な発展は望めない。

 津田博司0802