オーストラリア辞典
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Commonwealth of Nations

コモンウェルス、英連邦、イギリス連合


イギリス帝国を構成していた50余りの独立諸国が加盟する連合体の名称。


 1920年に、「イギリス帝国」の名称に「コモンウェルス」の語が加わり、「イギリス帝国・コモンウェルス」British Empire and Commonwealthとなる。これは、第1次世界大戦中、多大な人的・物的援助で帝国に貢献したドミニオン(オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ) の自治植民地としての地位を、イギリス本国政府が正式に承認したことを意味する。ドミニオンが、1919年のパリ講和会議において、他の参加諸国とほぼ同等な立場で討議に加わり、その結果、国際連盟の創立メンバーとして認められたことから、従属植民地との差異化が必要となったのである。1925年には、植民地省から分かれてドミニオン省が設立される。

 1926年の帝国会議で採択されたバルフォア宣言により、ドミニオンは、本国と対等の地位にある自治コミュニティと定義され、事実上、独立が認められた。この宣言をもとに、1931年にウェストミンスター憲章が制定され、イギリス君主に忠誠を誓うドミニオン諸国の連合体である「英連邦」British Commonwealth of Nationsが正式に成立する(オーストラリアによる憲章採択は1942年)。以後、ドミニオンの地位を付与された旧植民地は、英連邦の加盟国となる(例えば、1948年のセイロン=現スリランカ)。

 1949年にインド(47年にドミニオン)が共和制に移行した時、同国を連邦内に留めておくために、イギリス君主への忠誠という要件が取り外され、英連邦は「コモンウェルス」Commonwealth of Nationsと名称を変える。コモンウェルスは、イギリス君主を長とし、メンバー諸国の脱退も認められたきわめて緩やかな国家連合体で、1949年にはアイルランドが、そして、1961年には南アフリカが離脱している。また、非加盟も可能(1947年に、ビルマ、現ミャンマーが英連邦への加盟を拒否する)で、1950年代以降独立を果たした旧植民地のなかでも特に中近東諸国にこのような例が多く見られる。さらに、1989年のパキスタン(72年のバングラディシュ独立の際、離脱)や94年の南アフリカの再加盟、あるいは、95年の旧ポルトガル植民地モザンビークの加盟にみられるように、コモンウェルスは、流動的な組織としての性格を維持し続けている。

 今日の主な活動としては、コモンウェルス首脳会議CHOGM(1969年からは2年毎に開催)や、コモンウェルス・ゲイムズCommonwealth Games(1930年にEmpire Gamesの名称で第1回大会が開かれ、54年大会から「コモンウェルス」の語が加わる)などがある。

 宮崎章01