オーストラリア辞典
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Commonwealth of Australia Constitution Act

オーストラリア連邦憲法法



 オーストラリアのイギリスからの独立と連邦結成の法的根拠であり、全9条から構成されるイギリスの議会法として制定された。

 1890年代に全オーストラリア植民地からなる連邦設立の要求が高まり、憲法制定会議(1891年、1897年から1898年)を経て、憲法が起草された。1899年の住民投票により各植民地の賛同を得て(西オーストラリアは1900年に参加)、この憲法を含む法案が1900年7月にイギリスの下院を通過した。この法律は1901年1月1日に正式に施行された。かつての植民地を州Stateとし、州の統合体としての国家オーストラリア連邦が発足した。連邦は外交、防衛、海上交通、移民、郵便電信、課税、通貨、婚姻、年金、州際間の労働仲裁など憲法で定められた権限のみを受け持ち、その他の権限、公共事業、教育、衛生、警察などはすべて州の主権に残された。

 同憲法法第9条にオーストラリア憲法の全条文128条が掲げられており、議会、行政府、裁判所の各権限などが定められている。連邦議会に関する規定は第51条に記されており、議会は上下両院により構成される旨定められている。下院は人口に比例して選出され、上院は州の規模に関係なく1つの州から同数の議員が選出される。行政府はイギリスの内閣制度を模範としている。憲法の規定にはないが、下院における第1党の党首が組閣し、その内閣は英国女王の代理である総督により正式に任命されることが当然の前提となっている。その他の主要な規定としては、最高裁に関するものがあげられる。最高裁は憲法を解釈するものとされ、特に連邦と州との間の争いを調停する。憲法の改正は国民投票によってなされ、総投票数の過半数以上の賛成票と、過半数以上の州における賛成多数が必要である。

 1901年以降の傾向としては、連邦が州に比してより強い権限を有する方向にある。この傾向は、主に憲法の法的解釈に由来すると思われる。憲法が想定していなかったり、明示していない事柄に関しては、一般に実行が困難である国民投票による憲法改正よりも、憲法の解釈者たる連邦最高裁判所の判断が重要となる。連邦最高裁の判事任命権が連邦政府にある以上、連邦政府に有利な解釈がなされやすいと言うことができる。また戦時における戦費確保や全国共通の金融システムの構築など、社会経済的状況の変化が連邦の経済的統制力拡大を必要とした点も理由としてあげられる。

 藤井秀明・藤川隆男0103