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Commonwealth Conciliation and Arbitration Court
連邦調停仲裁裁判所
1904年、州を越えて全国レヴェルでなされる労使紛争の解決のため、連邦調停仲裁法に基づき創設された連邦機関である。1907年のヒギンズ判事による最低賃金(後に「基本給」と呼称)に関するハーヴェスタ判決が有名である。1920年代までに、仲裁制度はオーストラリアの産業界に深く根づき、連邦調停仲裁裁判所の制度改正は、時の政権に対して大きな影響を与えるまでになった。ヒューズ首相とヒギンズ判事の衝突を原因とする、1920年の政権による司法機能の侵食は、労使関係を不安定なものにする一因となった。また1929年のブルース・ペイジ政権は、連邦調停仲裁裁判所を解体しようとしたが、政府内部の分裂、総選挙、政権側の敗退という結果に終わった。第2次世界大戦後には、2つの大きな改正がなされた。まず1947年に法廷の分割が行われ、日々の職務の大半が政権によって任命される調停コミッショナーに割り当てられ、基本給や労働時間などの司法や国家的重要事項に関する領域が判事に残された。さらに1956年の立法により、司法機能を担当する労働裁判所と、調停仲裁の権限を持つ調停仲裁委員会(1989年よりオーストラリア労使関係委員会)の2つの別個の組織が設立されるに至った。労働裁判所の業務は、1977年にオーストラリア連邦裁判所へ移譲された。
藤井秀明00