オーストラリア辞典
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Cloncurry

クロンカリー


クィーンズランド中西部、ブリスベンの北西1,963キロに位置する。
人口:2,459(1996)、1,961(1981)、2,438(1961)、243(1891)。


 町の西に流れるクロンカリー川から名前を取っている。川の名前は探検家ロバート・オハラ・バークによって、彼のアイルランドのいとこ、エリザベス・クロンカリーにちなんで命名された。白人の入植以前は、カルカドゥーンやMayi-Thakurtiのアボリジナルが居住していた。町は1867年のジョン・マッキンリJohn Mckinleyとアーネスト・ヘンリーErnest Henryによる銅鉱脈の発見の後、1876年に建設され、翌年町として宣言された。ヘンリーはグレイト・オーストラリアン鉱山を創設した。この鉱山は地域で最大の鉱山となり、1920年代まで生産を続けた。1883年に西及び南西部にも銅が発見され、先住民警察の指揮官がアボリジナルの待ち伏せによって殺害された後には、植民者とアボリジナルの間で激しい争いが起こった。1884年9月にはプロスペクターズ・クリークでカルカドゥーンのアボリジナルが全滅に近い打撃を受けた。1879年には病院が、1884年には学校が設立された。第1次世界大戦中は、イギリス帝国における最大の銅の産地であったが、その後の価格下落により、ほとんどの鉱山は閉鎖された。カンタスは1922年に、この地とチャールヴィルとの間に、オーストラリアで最初の定期航空便を始めた。また、1928年にフライング・ドクターの最初の基地が置かれた町でもある。第2次世界大戦では米軍の航空基地となった。メアリー・キャスリーン記念公園には、マウント・アイザとこの町の中間地点にあった鉱山町メアリー・キャスリーンの建物や遺物が保存されている。現在の町はハイウェイの交差点にあることから繁栄し、牧羊地帯のサーヴィス・センターになっている。

 美谷吉孝0902