オーストラリア辞典
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Censorship

検閲制度



 一般に、検閲制度は連邦政府と州政府が分担しており、連邦政府は海外から輸入される出版物などに関して検閲を実施し、州政府は州内で製造された物に対して検閲を実施することになっている。 植民地時代の初期の検閲については、キング総督が『シドニー・ガゼット』紙に対して出版前の試し刷りの提出を求めていたことが知られている。しかし、当時オーストラリアのエマンシピストたちは報道の自由を求める動きを強めており、1824年に、彼らの代弁機関である『オーストラリアン』紙が検閲を通さずに出版を始めると、当時の総督トマス・ブリスベンはそれを容認した。以後、その前例が他の新聞によって踏襲されるようになった。

 イギリスとの結びつきが強固な時代は、オーストラリアに入ってくる物の管理も容易であったが、オーストラリアが発展して、独自の生活スタイルを作り出すようになるにつれ、政府も検閲制度による管理を始めるようになった。1870年代から政府は、検閲に関する法律の制定に乗り出した。社会の様々な事柄について厳格な規範を求める人々の声に応じて、法律はしばしば改正された。検閲制度が制定された初期のころ、連邦政府はそれを税関制度の一部として位置づけていた。

 1901年にオーストラリア連邦が結成される頃までには、西オーストラリアを除くすべての植民地が検閲制度を制定していた。オーストラリアで再び検閲制度の整備が問題とされるようになるのは1950年代のことである。第2次世界大戦後に安価な出版物が出回ったことや自由の拡大などがその原因とされる。出版物は、その内容が猥褻あるいは扇動的な場合には、出版を禁止される場合があるとされている。映画に関してはフィルム監視委員会が、テレビやラジオに関しては放送裁判所が基準を定めて、猥褻であったり過度に暴力的なものは放送(上映)できないことになっている。しかし、検閲に反対する世論の動きもあり、政府は1970年代ごろから制度を緩和し始めている。

 三木一太朗00