Catholic schools
カトリック学校
カトリックの子供たちのための独自の学校は、植民地におけるカトリック人口が増加し、英国国教会の教育支配の試みが失敗した1820年代に現れ始める。1836年の教会法のもとで、カトリックを含む3つの宗派は、学校を維持するための財政的援助を与えられ、1848年までにおよそ45のカトリック・スクールが運営されていた。ヴィクトリア植民地で最初に始まった「無償・世俗・義務」教育を目指す法律が、宗派学校への援助を取り消し、公的資金で運営される学校の制度が各植民地で確立した1870年代まで、政府による宗派学校への援助は続いた。
主に中等学校に限って一部の学校だけを維持することにした他の宗派と異なり、カトリックは、宗教・教育での結束を図るため、初等教育から一貫した学校システムを維持することを決定した。そのシステムは、主として修道女や修道士、ヨーロッパから派遣されてきた司祭などが担うことになった。教会の指導層からも、教育と宗教を分離する理念を受け入れずに、教会独自のやり方を貫くよう圧力がかけられていた。カトリック教会は、植民地政府の援助が打ち切られるのにあわせて、それまで孤立していた地域にまで学校を広げた。これは、聖ヨセフ修道院の修道女のような、安価で潤沢な教員の供給源を持っていたからこそ成し遂げられたことである。カトリックの学校は、こうして、植民地で最大規模の非公立の学校システムを持つようになった。
政府の補助金が停止されて以来、カトリックの学校に対する補助金を求める運動は、カトリック教会の公的活動の特徴となった。他の私学に対するのと同じように、カトリック学校への州政府からの援助は、1960年代に再開された。政府にとって、戦後の移民と人口の自然増に合わせて、すべての教育システムを奨励することが必要となったからである。さらに、当時の自由党政権がカトリックの票を労働党から奪い取りたかったという理由もあった。
このように、さまざまな要因からカトリックの学校は存続・成長し、現在では世界で最もよく整備された私立学校体系を保っていると言われている。
山崎雅子00