Castlemaine
キャッスルメイン、カースルメイン
ヴィクトリア中央部、メルボルンの北西119キロ、ベンディゴウの南39キロに位置する。ヴィクトリアではキャッスルメインと呼ぶのが普通である。
人口:6,690(1996)、6,810(1991)、7,741(1971)、4,770(1891)、9,683(1861)。
地名は、金鉱監督官のライトの叔父であった、カースルメイン子爵にちなんで、総督のラ・トローブによって名づけられた。この地域はウェンバウェンバのアボリジナルが居住していたが、1836年のトマス・ミッチェルの探検に続いて、スクオッターによる入植が始まった。マウント・アレキサンダー(アレグザンダ)Mount Alexander牧場が1841年に開かれ、この牧場の一角で1851年に金が発見された。これによってゴールドラッシュが始まり、町は急速に発展した。
金鉱には監督官が派遣され、そのキャンプのあったところに町が発達した。1852年には金鉱監督官のスタッフだけでも300人に達した。ここは、最初はマウント・アレキサンダーまたは、フォレスト・クリークForest Creekと呼ばれた。この年には、金鉱の人口が約25,000人になり、学校や銀行が設置された。1854年までには5つの教会が建設され、地方自治体となった。
多くの中国人金鉱夫も集まり、1857年には1,300人の中国人がメカニックス・ヒルに集まり、中国人に対する新たな課税と規制に抗議した。1861年には約5,000人の中国人がこの地域にいた。
最も豊かな砂金の産地として栄え、1857年には小麦の製粉所(後の鉄道の鋳物工場)や醸造工場が建設された。ちなみに、CastlemainXXXXは有名なビールのブランドである。また、監獄やマーケット、裁判所などの公共建築物が立てられ、1862年には鉄道が開通した。しかしながら、金の生産の停滞とともに人口は減少し、紡績工場や工作機械工場が開業したにもかかわらず、人口は減少した。1905年にはキャッスルメイン・ベーコン・カンパニーが開業し、現在もこの会社を継承した企業が750人の雇用を生んでいる。20世紀には少し人口も回復し、1965年にはシティになった。現在の主な産業は工業であり、周辺は果樹栽培と酪農が盛んである。
藤川隆男0303