Carnarvon
カナーヴォン
西オーストラリア中西部、パースの北約900キロに位置する。
人口:6,357(1996)、5053(1981)、2956(1966)、755(1911)。
町はガスコーインGascoyne川の河口に位置し、町の名は英植民地相ヘンリー・ハーバード、カナーヴォン伯爵にちなんで名づけられた。海岸線は17世紀にオランダ人が探検していたが、その内陸地域の探検は、ジョージ・グレイによって1838年から1839年に行われた。1876年には初のヨーロッパ人定住者として、ヨークから4,000頭の羊を連れたA.ブラウン、J.H.モルガン、そしてC.S.ブロックマン等が植民した。1883年には町の測量が行われ、1886年には牧畜業の中心地として町は公告された。地域のアボリジナルの多くは虐殺されたが、残ったものは牧場で厳しい労働条件のもとで働かされた。生産された羊毛は「アフガン」人のラクダ使いによって、カナーヴォンの町まで運ばれた。このラクダによる輸送が、町にあるロビンソン・ストリートが大きな幅を持つ理由である。その後、バナナや豆が主な生産物となり、ガスコーイン川沿いではマンゴ、トマト、カボチャ、その他の果物や野菜も生産されるようになった。町の周辺は現在でも良質な羊毛の産地であり、多くの農産物のほかにエビ、帆立貝、カキの養殖等の漁業も重要な位置を占める。1950年から1962年には捕鯨基地が運営されていた。
ブラウン山地には、海外通信委員会(OTC)の人工衛星追跡基地やラジオ・オーストラリアの局、NASAによる宇宙船追跡基地(1964-74)があった。OTCの基地局は1966年に、イギリスから最初のテレビの衛星放送を受信した。1969年には世界に4つしかない標準地上局が、インテルサット(国際商業衛星通信機構)によってNASAのために設立された。
藤川隆男0103