オーストラリア辞典
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Bussell, Grace

バセル、グレイス


1860-1935
西オーストラリアに生まれる。
難破船救助のヒロイン。


 グレイスは西オーストラリアのバセルトンBusseltonの近くで、スクオッターとその妻の娘として生まれた。植民地の孤立した地域で、自由な精神とともに育ったグレイスは、日々の生活から仕事に必要な多くのことを学んだ。

 1876年12月1日に、48人の乗客を乗せて、アデレイドからフリーマントルへ向かって航海していた汽船ジョージェット号は、グレイスの父の牧場から3キロの位置にある、ケープ・ルーインCape Leeuwin近くで岩に衝突して難破した。船の救命ボートが転覆し、女性と子供が海に投げ出された。父親の牧場が近かったグレイスとアボリジナルの牧場使用人のサム・アイザックは、知らせを聞いて馬に乗ってかけつけ、馬が疲れ果てるまで4時間にわたり、波打ち際で乗客たちの救助を行った。また、勇敢にも馬で海に乗り入れ、溺れる多くの子供を助け上げた。他の人々は馬に乗せられて、安全な海岸に運ばれた。この注目すべき勇気ある業績でグレイスの名は知れわたった。

 バセル・グレイスは、1838年にファーン諸島Farne Islandsで、蒸気船フォーファーシァイア号が難破した際に9人を助けた、イギリス人灯台守の娘グレイス・ダーリングにちなんで、「西の愛しいグレイス」として知られるようになった。植民地のイギリス人が贈った最大の賛辞は、彼女をイギリス本国の女性と同等にみなすということであった。当時、植民地の全ての産物はイギリス製品よりも劣ったものとして評価されていた。バセルのほうがはるかに多くの人命を救ったにもかかわらず、その評価はグレイス・ダーリングに及ばなかった。グレイス・ダーリングはその功績を称えられて、王立人道協会から金メダルが授与され、1,700ポンドを上回る賞金が与えられた。これに対し、バセル・グレイスは助け上げた人数が多いにもかかわらず、王立人道協会から金メダルではなく銀メダルが、1,700ポンドの代わりにイギリス政府から金の時計が贈呈された。

 彼女の物語はオーストラリアの伝説の1つとなった。グレイスが生まれたバセル家は、西オーストラリアの有力な入植者の家系で、1829年にスワン・リヴァー植民地に移住し、1834年にヴァス川Vasseの流域、現在のバセルトンに入植していた。

 西川俊紀1101