Burnet, Macfarlane
バーネット、マクファーレン
1899‐1985
トララルゴン、ヴィクトリア生まれ。
医学者。
ヴィクトリアのトララルゴンに銀行役員の息子として生まれる。州立学校を経て、ジロング・カレッジで学び、1922年にメルボルン大学を卒業、薬学・理学の学士号を取得。メルボルン病院での研修を終えたのち、1925年までメルボルンのウォルター・イライザホール病理学研究所に勤務。 1924年に薬学博士号を取得し、1925年から1927年まではロンドンのリスター研究所でウィルスの研究に携わりロンドン大学でPh.Dを取得した。翌1928年からは再びメルボルンの研究所に局長補佐として戻り、1932年までの同職在任中にジーン・マクナマラ医師と共にそれまで1つだと信じられていたポリオのウィルスが少なくとも2つ以上あることを発見した。1932年から1933年までイギリスの国立ハムステッド薬学研究所で勤務したのち、再び局長補佐としてメルボルン研究所に戻った。 1944年から1965年までは同研究所の所長となり、同時にメルボルン大学の実験薬学の教授も務めた。
1957年には研究分野をウィルスから免疫学へと移し、1960年の10月には臓器移植の発展に貢献した免疫耐性の研究を評価され、イギリスのピーター・メダワーとともにノーベル薬学・生理学賞を受賞した。
退職後、1965年にメルボルン大学の微生物学の客員教授となり、薬学ならびに社会的な事柄、特に科学と社会の関係のあり方について多くの著作や講演を残した。また、彼は国内外を問わず様々な協会のメンバーであり、代表的なものとしては1957年に努めたオーストラリア・ニュージーランド科学学会の会長、1965年から1969年までのオーストラリア科学アカデミーの会長、1966年から1969年までの連邦財団初代議長などがあげられる。
水田哲朗0501