オーストラリア辞典
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Bunya gatherings

バンヤバンヤ祭り



 バンヤという松の木をたたえて祝われていたアボリジナルの祭り。主にクィーンズランド南東部の2つの場所で行われていた。海岸部の部族は、マレイニーMaleny近くのブラコール山脈で行い、内陸部の部族は、ドルビー近くのバンヤ山で行っていた。バンヤの実で宴を催しながら夜に人々は踊り、歌った。昼間には、長老がグループ間の和解を謀ったり、重要な集会の日時を決めたりしていた。また、結婚の取り決めが話され、商品が交換された。バンヤは3年ごとに実をつけるため、バンヤバンヤ祭りも3年ごとに催されていた。アボリジナルの部族はめったに他の部族の領地を越えることを許されていなかったが、バンヤバンヤ祭りに行くときは、それが許されていた。

 バンヤは熟すと、とても大きな松かさをつける。実は固い殻に包まれており、なかには5センチに達する大きさの実もある。この実は、バンヤの木が育っている地域の人々にとっては、貴重な食料源であり、栄養価が高いものであった。ときには、数百キロ離れたところからバンヤの実を取りに来ることもあった。バンヤの木は、非常に多くの実をつけるため、何千人もの人を養うことができた。実は焼くと、クリのような味がしておいしい。そのまま食べることもあったが、実をひいて粉にし、灰の中で焼きケーキのようなものをつくることもあった。すぐに食べない分は、大きな籐のかごに入れ、そのかごを泥の中に埋め保存していた。地中に何カ月もおいたバンヤの実は、独特の悪臭を発したが、それでも人々の食料として重宝されていた。

 このバンヤの実を祝い、アボリジナルの人々はバンヤバンヤ祭りを行っていた。しかし、白人が定住するようになると、事態は変わった。白人は、バンヤの木を伐採し、その土地を農場にし、切った木を木材として売ろうと考えた。そしてバンヤの木を守ろうとしたアボリジナルの人々との間で争いが起こった。白人は、武器をもってアボリジナルを追い出し、土地を農場に変えていった。アボリジナルの激しい抵抗の甲斐なく、1861年にはブラコール山脈からアボリジナルの人々は追い出された。しかし最近になり、昔の伝統を再び確立しようとする試みで、バンヤバンヤ祭りは復活し、2000年1月の最終週にバンヤ山で開催された。

 藤堂かおり0704

バンヤの道

バンヤの山宿泊