オーストラリア辞典
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Bundaberg

バンダバーグ


クィーンズランド南東部、ブリスベンの北368キロに位置する。
人口:41,025(1996)、32,560(1981)、26,516(1971)、15,926(1947)、8,727(1911)、2,323(1881)、117(1871)。


 町の名称は、バンダというアボリジナルの名前と、町を意味するburg「バラ」という言葉を結びつけたものであり、測量官J.C.トンプソンによって名づけられた。白人の入植以前は先住民のガビーガビーあるいはGureng Gurengの居住地であった。

 1842年にヘンリー・ラッセルがその地を探検し、1847年には政府によって測量官ジェームズ・バーネットが派遣されたが、最初のヨーロッパ人入植者は、1866年にこの地域を探検した、カヴィン・ステュアートとジョン・ステュアートであった。ドイツやデンマークからの入植者が開墾を進め、サトウキビの生産が徐々に発展した。北部バンダバーグから発展が起こり、木材工場やオーストラリア蒸気船会社の波止場が1868年に建設され、メリバラへの道路も開通した。鉄道交通に関しては、1884年に奥地へ、1887年にはメリバラへ開通し、1912年になるとブリスベンまで鉄道が開通した。1872年になると、最初の土地売却にともなって、政府による南部バンダバーグの測量が行われた。

 スチュアートが始めたサトウキビ栽培も1872年に工場が操業を始めるなど、次第に確立されたが、その労働力は強制的に連行されてきた太平洋諸島の人々、「カナカ」に依存していた。産業の拡大とともに、1880年代から90年代にかけて多くの製糖工場が建設され、また、ラム酒の蒸留工場も建設された。1958年には、316,000トンの砂糖が貯蔵できる、世界で最も長い砂糖の貯蔵倉庫であるターミナルが建造された。

 地方自治体が1880年に成立し、1881年にはタウンに、そして1913年にはシティとなった。現在も砂糖が町の経済を支えているが、牧畜や他の熱帯作物の栽培も地域の経済にとっては重要である。オーストラリア全体の砂糖の20%はこの地域で産出されており、ラム酒の生産でも有名である。

 石川美帆・藤川隆男0403