Buckley, William
バックリー、ウィリアム
1780-1856
チェシア、イングランド生まれ。
アボリジナルとともに生活した逃亡囚人。
アボリジナルの中で生活した、「野生の白人」wild white manとして知られる。
イングランドのチェシア出身。小作農の子として生まれる。 2メートルもの大男に成長した彼は、1799年、革命政府下のフランスとの戦争の際に新兵として軍に入隊した。軍隊での毎日単調な仕事に従事する日々にうんざりし、パブで酒を飲んで過ごすことが多くなった。ある時、見知らぬ女性から一反の布地をある女性のところへ届けてほしいということで受け取った。それが盗品であったために罪に問われ、裁判で有罪となり、終身の流刑に処せられることになった。バックリーは重罪人として厳しい労役に従事することになり、そこで権力に対する憎しみの念を強くすることになった。
1803年、当時ニューサウスウェールズの一部であったポートフィリップに、新しい囚人植民地を建設するための遠征が行われることになった。バックリーもコリンズの率いるその遠征隊に加えられ、オーストラリアに送られた。現在のヴィクトリアのソレント近くに上陸したが、バックリーは2人の仲間とともにそこから脱走した。入植者たちは、バックリーが逃亡して間もなくタスマニアへ移動し、バックリーは白人として1人取り残されることになった。他の2人の消息は不明であるが、バックリーは1人自然の中での逃亡生活に耐え続けた。食べる物もなくなり、体も衰弱したバックリーは、アボリジナルに助けられた。この時バックリーは、アボリジナルの墓で拾ったやりを杖の代わりにしていたが、それを見たアボリジナルは、バックリーをやりの持ち主だった彼らの仲間が、死者の世界から戻ってきたのだと考えた。バックリーは1835年までアボリジナルの中で暮らし、彼らの言葉や習慣を学び、結婚して娘が1人生まれた。
1834年、ポートフィリップ地区への白人の入植が開始され、タスマニアから白人が移ってきた。彼らはアボリジナルの中で生活するバックリーを発見した。入植者たちは、彼がアボリジナルの言語を知っているという利点に目をつけ、政府から彼の特赦を取りつけた。バックリーはその後ジョン・バットマンや政府の通訳として働くことになるが、白人とアボリジナルの間に立つことは居心地の悪いものであった。彼は白人社会に戻ることに決め、1837年にホバートに移り住んだ。そこで彼は結婚し、普通に生活しようとこころみたが、有名になってしまった彼にとって、白人社会に再び溶け込むことは困難であった。また彼は、白人の立場にたって、アボリジナルのことについて語ることを拒み続けた。そのため不当な悪評を得ることになった。1856年に死亡した。初期のメルボルンにおいて、広く一般に「野生の白人」とよばれ、伝説的な存在となった。
渡部滋之1101