Broken Hill Proprietary Company Limited (BHP)
ビー・エイチ・ピー
メルボルンに本社を置くオーストラリア最大の企業で、製鉄、鉱山、原油採掘等を幅広く手がけるコングロマリットである。1883年、チャールズ・ウェルズが、ニューサウスウェールズ西部ブロークン・ヒルに近いバリアー山地Barrier Rangesで、銀・鉛・亜鉛の鉱床を発見、1885年に、彼を含む7人のシンジケートにより、BHPが設立された。同年よりブロークン・ヒルにおける採掘が始まり、翌年には精錬も開始、間もなく同社は銀・鉛の供給量において世界最大級の会社となった。さらに、1898年、精錬工場をブロークン・ヒルから南オーストラリアのポート・ピリーPort Pirieに移して拡張、1899年には精錬材用の鉄鉱石を確保するためアイアン・ノブIron Knobの鉄鉱石鉱山を賃貸取得した。一方、1911年になるとブロークン・ヒルの鉱脈が枯渇、同社は事業の中心をアイアン・ノブの鉄鉱石を用いた製鉄業に切り替えることとし、1915年に石炭を豊富に確保できるニューサウスウェールズのニューカッスルで製鉄を開始した。1935年には、オーストラリア鉄鋼株式会社Australian Iron and Steel Ltd.を買収し、オーストラリアにおける鉄鋼供給の独占を実現した。1941には、アイアン・ノブの近くのワイアラWhyallaで、溶鉱炉を建設するとともに、造船所を開設した。第2次世界大戦後は、オーストラリアの経済成長に呼応し順調に業績を拡大した。
1970年代には、米国メジャーのエクソンとの合弁により、バス海峡や西オーストラリアで油田を開発、エクソンの海外生産分を含め、オーストラリアにおける原油供給の70%を占めるようになった。1983から1986年にかけて、一時買収の危機にもあったが、1999年現在、従業員数50,000人以上、総資産額約3,150億オーストラリアドル、年間売上高約1,923億オーストラリアドルの巨大企業となっている。日本との関係も深く、1960年代には、西オーストラリアで鉄山を、1970年代にはクィーンズランドでコークス用の炭田を開発し、日本に輸出するようになった。現在も、BHPの売上高の約15%は日本向けである。
浅野敬一00