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Brisbane Line
ブリスベン・ライン
第2次世界大戦中、日本軍の攻撃からオーストラリアの人口密集地域(ブリスベンから南の南東部オーストラリアの定住地域)だけを防衛しようと立案された計画の通称。
カーティン労働党政権で、労働力動員担当大臣を務めたウォードが、先の非労働党政権がこのような計画を作ったと繰り返し主張した。1943年の議会で、これをブリスベン・ラインと呼んだ。
カーティンはこの種の計画が、軍の幹部によって立案されて、1942年に軍事諮問機関によって討議され、与野党の政治家によって拒絶されたことを明らかにした。また、マッカーサー司令官は、1943年3月に同様の計画に言及した。しかし、野党はこのようなラインの存在を否定した。
それに対しウォードは、この問題についての関連文書がファイルの中から紛失していると主張した。王立調査委員会が任命され、ウォードの主張の真偽についての調査が行われたが、文書の紛失は無かったことが明らかになった。しかし、ブリスベン・ラインの存在自体の真偽は、調査の対象とはならなかった。
葛西修二00