Botany Bay
ボタニー湾、ボタニー・ベイ
ニューサウスウェールズの中東部、シドニーの南にある湾。
シドニーを参照。
1770年ジェームズ・クックは、エンデヴァー号をこの湾に停泊させた。上陸したジョゼフ・バンクスやダニエル・ソランダーが多くの植物標本を集めたことから、クックはこれを植物学湾、ボタニー・ベイと名づけた。この地域は、もとはイーオーラのアボリジナルが居住していた。彼らは入植直後に広まった伝染病で大打撃を受け、19世紀の中頃にはほぼ全滅した。第1船団は1788年1月にボタニー湾に到着したが、その直後に、ラ・ペルーズ提督率いる2隻のフランス船もボタニー湾に到着した。フィリップ総督はボタニー湾は入植に不適であると考えて、ポートジャクソンに移動した。
1789年から1790年には囚人の漁業基地が作られた。1814年にはシミアン・ロードが毛織物工場を北岸に建設し、1820年ころ総督マクウォリーは監視塔をラペルーズに建設した。1823年ロードは土地を交付され、これを野菜栽培のための借地として貸し出した。1850年代以降は中国人がここで野菜栽培に従事した。1858年から1886年ボタニーの水道施設がシドニーに水を供給した。1880年石炭輸入桟橋がバンクスメドウに設けられた。またロシア人が侵略してくるという恐怖が原因で、1881年から1885年にベア・アイランドは要塞化された。1888年ボタニーとノース・ボタニーはともに自治体となり、1899年にクックの上陸場所は、公園となった。
20世紀に入ると、ボタニー湾の北側はシドニーの工業地域となる。1920年代末バネロング発電所が開設され、第2次世界大戦後には石油精製所が建設された。1960年代には湾の浚渫作業が港湾開発のために進められた。さらに1980年代にはコンテナ・ターミナル建設や石油製品の輸入施設の整備も進んでいる。しかし、最近では湾の環境破壊が深刻化しており、残された天然の海岸線と自然の維持が大きな課題になっている。シドニーのキングスフォード・スミス空港は湾の北に位置するので、日本から入国する人々はこの湾を最初に見る確率は高い。1996年にボタニー・ベイはシティのステイタスを認められた。
藤川隆男0403