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Bolte, Henry Edward
ボルティ、ヘンリー・エドワード
1908-1990
バララット、ヴィクトリア生まれ。
政治家、ヴィクトリア州首相(1955-1972)。
ヴィクトリアの州首相を長く務めた政治家。1908年にヴィクトリアのバララットに生まれる。スキプトン州立学校とバララット・グラマー・スクールを卒業し、父と同様に農民になった。第2次世界大戦中は陸軍に所属した。1947年にヴィクトリア州議会下院の自由党議員となり、政界に入った。1951年には、自由党・地方党連合の副代表となり、1953年に代表が飛行機事故で死亡すると、選挙を経て野党の指導者となった。1955年には、オーストラリア労働党の分裂によって、ケイン労働党州政府が終わり、ボルティが州首相兼財務大臣となった。その後、彼が州首相を務める17年の間、自由党は5回の選挙に勝ちつづけた。この勝利には、民主労働党(カトリック・アクション・グループなどが結成)の支持が大きく貢献していた。
彼が州首相の間には、州権を強力に擁護した。また代表団を連れて何度も海を渡り、海外の投資家を勧誘し、州のさらなる発展を目指した。そして、中等教育と高等教育を拡大し、アボリジナルの権利を擁護するために、アボリジナル担当省を設立した。1967年には、ロナルド・ライアンRonald Ryanの死刑を支持し、論争を呼んだ。彼の処刑が、オーストラリアにおける最後の死刑執行になった。
1972年に引退した後も、しばしば労働党に反対する活動を行った。1990年に喫煙による肺がんで死亡した。
新村祐規0501