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Boer War
ボーア戦争
1899年10月にイギリスとボーア人(アフリカーナーとも呼ばれる南部アフリカのオランダ系入植者の子孫)共和国であるトランスヴァールおよびオレンジ自由国との間で勃発した戦争。別名南アフリカ戦争とも呼ばれる。ボーア戦争へのオーストラリア人の支持は、スーダン遠征の時に比べれば明らかに低調なものであった。ヴィクトリアとニューサウスウェールズは、ジョゼフ・チェンバレンの自発的な軍隊派遣の要請を拒否し、ようやくイギリスが費用を負担するという条件で軍隊の派遣に同意した。一般的なボーア戦争への支持は、1899年にイギリス軍が危機に陥ってから1901年に連邦が結成されるまでは、かなり高かったように見えるが、その後急速に厭戦気分が広がった。
最終的には16,175人が南アフリカに赴いたが、そのうち約6,800人がブッシュマン(奥地人)であった。後者の大半は志願兵で充分な訓練を受けていなかったが、叢林地帯の情況に通じていたため、戦地では大きな働きをした。兵士の大部分は歩兵であったが、南アフリカにおいて騎馬兵に編成し直された。なお、連邦結成により、南アフリカに派遣された部隊はオーストラリア連邦騎兵隊と呼ばれるようになった。オーストラリア人が関わった最も重要な戦闘は、ブラクフォンテインでのエランズ川防衛である。将校であったブレイカー・モラントとピーター・ジョゼフ・ハンコックの処刑は物議を醸した。また、少数ではあるが女性も従軍看護婦として南アフリカに赴いている。1902年5月に共和国側が降伏し、プレトリアにおいてフェレーニヒング条約が調印され終戦となる。588人のオーストラリア人が戦死・病死した。
宮崎章00