Blackbirding
ブラックバーディング(労働者誘拐)
ブラックバーディングとは、フィジー、サモア、オーストラリアにおける綿花栽培や砂糖プランテーションでの労働のためにメラネシア人(当時カナカ人、ポリネシア人とも呼ばれた)に対して行われた勧誘行為を指して用いられた言葉である。
1847年、ニューサウスウェールズでメラネシア人を牧羊場で働かせるという最初の試みがなされたが、その時の計画は短命に終わった。1863年から1904年の間に、主にニューへブリデス諸島(現在のヴァヌアツ)やソロモン諸島から、約57,000人がクィーンズランドとニューサウスウェールズに連れて来られた。そのほとんどが砂糖プランテーションで働かされた(一部の人間は牧場や綿花農園での労働に従事した)。彼らの賃金は低く、理論上は契約に基づきオーストラリアで一定期間労働を行っていることになっていた。しかし、実際は誘拐まがいに連れて去られ、重労働を課せらたり、殺される者もいた。1860年代以降、クィーンズランド政府はメラネシア人の勧誘や労働を規制する法律を制定していく。ミッショナリーなどの圧力もあり、本国の植民地省も状況を改善するためにさまざまな試みを行った。1872年、イギリス政府は太平洋諸島民保護法を制定、さらに1875年にこれを改正強化した。1884年に設立されたクィーンズランド政府王立調査委員会は、1890年以降メラネシア人の勧誘禁止を決めた。1892年に一時その禁止が解かれるが、白豪政策のもと、結局連邦政府が1904年以降の勧誘禁止を法律で定め、メラネシア人労働者は、一定の条件を充たす者を除いて、国外追放となった。ミッショナリーを中心として、メラネシア人の労働力の雇用には批判が強くあり、それを誘拐による奴隷狩りと同一視したことから、ブラックバーディングという名称が一般化したが、初期の時代はともかく、実際には多くのメラネシア人労働者は、自発的な意志に基づきオーストラリアに来ており、ブラックバーディングという言葉は歴史的な実態を正確に反映したものとはいえない。
三木 一太朗00