オーストラリア辞典
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Bendigo

ベンディゴウ


ヴィクトリア北西部、メルボルンの北西150キロに位置する。
人口:59,936(1996)、52,741(1981)、30,779(1947)、17,883(1911)、28,153(1881)、13,020(1861)。


 町の名前は1853年に、イギリスの陸軍士官学校の名をとってサンドハーストSandhurstと公式には定められたが、一般にはベンディゴウの名が好まれ、1891年には現在のベンディゴウに変更された。ベンディゴウの名は、ゴールドラッシュ時の羊飼いで拳闘家であった人物のニックネームに由来するが、さらに彼のニックネームは、イギリスの有名なボクサー、アベドネゴ・ウィリアム・ジョンソンAbednego William Johnsonの名前を短縮したものであった。このニックネームがクリークの名前となり、さらにそれが町の名前となったのである。

 1840年代に白人による入植、牧畜が始まるまでは、アボリジナルのThagungwurungが居住していた。トマス・ミッチェルの探検の後に、1840年代にスクオッターが侵入し、入植が始まった。1851年、ヘンリー・フレンチャムHenry Frenchamによる金の発見以降、ベンディゴウはヴィクトリア最大の金鉱として発展し、1854年の人口は15,000人にものぼった。ベンディゴウの名が使われ始めたのも、この頃である。金鉱には、アイルランド人や中国人など、各地から様々な民族が集まった。1855年までに砂金はほぼ採り尽くされたが、新たに金鉱脈が発見され、採掘会社による大規模な採掘が、個人の採掘人に取って代わった。1870年以降は石英金鉱脈の採掘が始まり、1954年の鉱山閉鎖まで町の発展を促してきた。ベンディゴウにある深さ1,400メートルにも及ぶ金鉱は、長い間、世界一の深さを保持していた。

 オーストラリアで最も古い陶器製造所として、「ベンディゴウ・ポタリー」が、1858年にエプソムEpsomで設立された。19世紀後半は町の発展期であり、1871年にシティになっている。1860年建設の中国寺院、郵便局(1887)、タウンホール(1885)などは一見の価値のある建物である。また1890年代にはトラムが開通し、現在では観光用にトーキング・トラムが市の中心部を走っている。20世紀にはいると、鉱山以外の多様な産業がベンディゴウで発展し、「ディガー(採掘人)」ブランドのジャム工場(1902)や、ハンロ織物工場(1926)などが設立された。また重要な農業地域のサーヴィス・センターとしての機能も果たしている。ロザリンド・パークや鉱山跡などを利用した観光業も盛んである。

 藤井秀明・藤川隆男0403