Beltana
ベルタナ
南オーストラリアの中東部、アデレイドの北540キロ、フリンダーズ山脈の西側にある。
人口:97(1981)、68(1954)、195(1891)、391(1881)。
1860年代に建設された放牧場にちなんで、1882年鉄道の駅にベルタナの名前がつけられた。それは、アボリジナルの言葉で「水の流れる場所」を意味したといわれる。この地域にはアドニャマダナAdnyamathanhaのアボリジナルが居住していたとされる。デセプション山は1840年エドワード・エアが登頂した。この地域の牧場は牧羊者のためにジョン・マクダウアル・スチュアートにより1855年に測量された。トマス・エルダーは1860年代に、それまでのパタパとデセプション山の放牧場を統合することで、ベルタナ牧場を建設した。エルダーは1866年に、この地にオーストラリアで初めてのラクダ牧場を作り、70年代には大陸縦断電信線建設に、80年代には中央オーストラリアの鉄道建設にラクダを提供した。ラクダとともにアフガンと呼ばれる人々がこの地域に入り、多くの住居が彼らのために建てられた。1870年代初頭にはスライディング・ロック・キャドナイア銅山への補給基地として発展した。1872年に開設された仮の電報局は、ポート・アガスタの北部に設置された大陸縦断電信線の最初の中継点であり、より本格的なものは1875年に建設された。1873年に町の測量が行われ、ベルタナ・ホテルが開業した。1881年に鉄道が開通すると、地域の中心地となった。ジョン・フリンは、1895年にこの町に建設されたスミス・オヴ・ダネスク・ミッションで、1911-12年に伝道を行った。病院は1919年に開設された。リー・クリークLeigh Creekの町が建設された後、この町はかつてほど重要ではなくなり、新しい鉄道が西方に建設されるようになって、1957年にこの地の鉄道は廃止された。町は歴史的保存地区に指定されている。イーディアクラ地区Ediacaraでは銀と鉛の鉱山が開発されたが、1900年までには閉鎖された。6億年前のクラゲの化石やその他の原始の海の生物が1946年にイーディアクラ山地で確認された。70年代には大量の亜鉛の埋蔵が発見された。ベルタナ歴史公園は国の重要文化財である。ある人物によれば、現在のベルタナは「生けるゴーストタウン」である。
左近幸村・藤川隆男0403