オーストラリア辞典
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Bathurst

バサースト、バサスト


ニューサウスウェールズ中東部、シドニーの西205キロ、ブルー・マウンテンズの西に位置する。
人口:26,029(1996)、10,413(1933)、5,030(1871)、2,252(1825)。


 ブラックスランドらによる、ブルー・マウンテンズ越えの道の開拓に続き、1813年、測量長官助手であったジョージ・エヴァンズがこの地域を探検し、当時の植民地担当大臣にちなみ、バサースト平原と名づけた。この地域に居住していた先住民は、ウィラージューリーの人々であり、入植者に激しく抵抗した。1815年、マクウォリーがバサーストの町の設置を決定し、オーストラリア最初の大ジバイジング山脈(グレイト・ディヴァイディング・レインジ)よりも西方に位置する定住地となる。 1816年には羊が導入され、ここから真の意味でのオーストラリアの牧羊業の拡大が始まるが、1824年にはアボリジナルとの衝突がおこり、それを抑圧するためブリズベン総督による戒厳令が敷かれた。この戒厳令の下で、少なくとも100人以上の先住民が殺されている。1833年には町の測量が行われた。町はゴールドラッシュの後に急速に発展し、1852年にタウン、1862年に自治体となり、有名な駅馬車の会社コブ・アンド・コウの本部が置かれている。さらに1876年には、シドニーとの間に鉄道が開通した。 1885年にシティとなったが、この年、後に首相となるチフリー首相がこの町で生まれている。 20世紀に入ってからも徐々に発展し、現在でもニューサウスウェールズ内陸部の主要な町の1つである。

 ハイウェイでシドニーからペンリスを通過し、ブルー・マウンテンズを東西に横切ると、目の前に広大な平原が開けてくる。その平原の手前に見える美しい町、それがバサーストである。町には1817年建設の総督官邸の一部、1837年、1860年建設のメソジスト教会、1873年建設の最古のカトリックのボーディング・スクールなど多くの植民地時代の建物が残る。多くのモテルがあるので宿泊場所を見つけるのは容易である。マウント・パノラマのサーキットコースは有名であり、レースがないときは自分の車でサーキットコースでの運転を体験できる。

 藤川隆男0403