Basic Wage
基本給、基本賃金
男性非熟練労働者へ支払われるべき最低賃金をあらわす。「基本給」という用語自体は、1911年の判決でヘンリー・ヒギンズ判事によって初めて用いられた。この後、時によっては最低賃金minimum wageや生活賃金あるいは生活給living wageという言葉も用いられた。熟練労働者には、その技術に対する割増賃金として「手当」marginがこれに上乗せされた。基本給は、労働者の生活保護を目的とする「必要性の原則」と、雇用者の「支払能力の原則」、そして経済全般における賃金上昇を考慮して決定された。
1907年、連邦調停仲裁裁判所のヒギンズ判事はハーヴェスタ判決を下し、5人家族の労働者家庭が生活するために必要な「公平かつ妥当な」賃金として日給7シリングを規定した。ヒギンズは明らかに必要性の原則を重視し、「使用人の報酬は使用者の利益によって左右されてはならない」として支払能力の原則を軽視している。これ以降、賃金裁定が連邦調停仲裁裁判所の重要な役割となった。1921年から、基本給は物価の動きに合わせて3ヵ月ごとに自動的に調整されるようになり、1930年代以降、基本的な原則として受け入れられていった。1922年、オーストラリアで最初の全国レヴェルの基本給審理において、物価上昇にともなう基本給の実質価値の目減りを補う週3シリングの増額が示されたが、これは「パワーズの3シリング」として知られている。基本給裁定において支払能力の原則が重視されるようになり、不況の影響で基本給は1931年に10%引き下げられたが、1934年と1937年には景気の回復を理由に増額が決定された。第2次世界大戦中は審理が延期されていたが、1948年の週40時間労働の導入により基本給は上昇した。大戦後は好況の年が続き、賃上げがインフレを引き起こす懸念が指摘され、1953年には賃金の自動調整が物価高騰に拍車をかける原因であるとして廃止された。1967年、総合賃金total wageへの一本化により、基本給は廃止された。
この基本給は男性労働者が家族を養うことを前提としていたので、女性の基本給は男性の50%から75%に設定された。これに対し1967年の総合賃金の導入以降、男女間の賃金平等を求める動きが活発になり、1970年代の初めに男女平等賃金の原則が確立した。
藤井秀明00