オーストラリア辞典
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Australian Workers Union, (AWU)

オーストラリア労働者組合(エイダブリュユー)



 オーストラリア労働者組合は、連合羊毛刈り職人組合と一般労働者組合を統合して1894年に設立された。連合羊毛刈り職人組合は、主要な組合としてはオーストラリアで2番目に設立された労働組合であり、大きな影響力を持っていたが、90年代の大規模なストライキに敗北後、組織の再編に動いたのである。AWUは羊毛刈り職人・鉱山労働者・建設労働者などの労働者が組合員となり、設立当時の組合員数はおよそ30,000人であった。

 初期における組合の社会主義運動および戦闘的労働運動に対する支援は、設立時の中心人物であり、書記長であったウィリアム・ガスリー・スペンスによる1909年の『オーストラリアの覚醒』Australia's Awakeningに表現されているが、この組合はやがて人種主義的なポピュリズムを支持するようになった。

 オーストラリア労働者組合は、オーストラリア労働党の結成においても非常に大きな役割を果たし、20世紀の初頭にはクィーンズランドやニューサウスウェールズなどの州の労働党系政府に対しても大きな影響力を持った。構成員の多くが農牧業地帯の労働者であったので、その強い影響力はオーストラリアの労働運動と労働党に非都市的な要素を色濃く与えた。

 しかし、この組合の目的はオーストラリアの労働者すべてを自らに結集することであり、第1次世界大戦末期にはOBUの設立の計画を阻止するよう努め、オーストラリア労働組合評議会ACTUとの提携も1967年まで果たされることはなかった。

 また、第2次世界大戦後からは外部からの批判と、内部での論争、さらには影響下にある産業の規模縮小により組合の構成員は減少し、たび重なる統合にもかかわらず、1980年代には構成員が約100,000人となった。1993年に金属業・製造業の組合と合併し、オーストラリア労働者組合・産業製造業技術労働者連合AWU‐FIME(Federation of Industrial, Manufacturing and Engineerring Employees)となり、現在に至っている。

 水田哲朗・藤川隆男0503

オーストラリア労働組合アーカイヴ