Australian National Flag
オーストラリア国旗
19世紀オーストラリアの植民地は、ユニオン・ジャックと英海軍旗、英商船旗などを用いていたが、1900年、イギリスの植民地省は、オーストラリア連邦結成にともなって、オーストラリアの海軍旗と商船旗を採用するように促した。1900年、メルボルンの『イヴニング・ヘラルド』紙は、25ポンドの賞金を懸けて、オーストラリア連邦旗のデザインを募集したが、当選した旗は現在の旗とは全く異なるものであった。これに続いて、メルボルンの『レヴュー・オヴ・レヴューズ』紙が50ポンドの賞金で、連邦旗のデザインを募集し、さらに、1901年4月29日、連邦政府は200ポンドの賞金を懸けて、公式のデザイン公募をおこなった。ここに前述のデザイン公募も統合され、全部で32,823件の応募があった。
首相のバートンは、よく似たデザインを提出した5人の当選を発表した。The Australian Blue Ensignは、連邦政府の命令で製作され、当選したデザインの特徴を取り入れたものであった。1901年9月3日に、この旗はメルボルンのエキジビション・ビルディングの上に翻った。ところが、Australian Blue Ensignは、連邦の建物だけに掲げるべき旗だと見なされており、その使用は一般化しなかった。ユニオン・ジャックが国旗であると考えられていたのである。しかし、1941年3月15日、メンジーズ首相は声明を発表し、公共建築物や学校、一般の人々がこれを掲揚することを推奨した。また、1947年にはチフリー首相も、この旗の使用を奨励した。1950年、内閣は、Australian Blue Ensignを国旗として採用することを正式に承認し、1951年にイギリス国王ジョージ6世の承認を得た。そして、1953年の国旗法の成立により、正式にAustralian Blue Ensignが国旗となったのである。
藤川隆男00