オーストラリア辞典
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Australian Atomic Energy Commission (AAEC)

オーストラリア原子力委員会



 英国政府と合衆国の、オーストラリアのウラニウム資源に対する関心を受けて、1953年に設立された機関。既存の諮問委員会の後を引き受けたこの団体には、ウラン鉱開発、その売却に関する手続き管理と、原子力、並びにその関連技術についての研究を行なう2つの役目があった。

 オーストラリアにおけるウラン探索は、1940年代から始まっていたが、最も大きな成果は、1949年にノーザンテリトリーで発見されたラム・ジャングルRum Jungleのウラン鉱であった。ラム・ジャングルで採掘されたウランは、そのまま合衆国へと送られ、核兵器産業で利用された。その後も多くのウラン鉱が開発された結果、オーストラリアにおけるウラン埋蔵量は世界の20パーセントを確保するものと見積もられている。第1次石油ショックのあった1970年代中葉以降、ウラニウムが原子力産品における基礎的原料として考えられるようになるとともに、オーストラリアのウラニウム開発の重要性はますます高まっていった。

 委員会のウラニウム産業における諸活動は、主として共同作業によるものであったが、そのなかでも、鉱山局The Bureau of Minerals, Geology and Geophysics とCSIROとの協力によるものが主なものであった。また、原子力、並びにその関連技術についての研究を執り行なうために、大学や病院などとも共同研究が行われた。研究・調査のための委員会の中央機関は、シドニー近郊のルーカス・ハイツLucas Heightsに置かれた。そこにはオーストラリアで最初の原子炉が設置され、放射能テストやアイソトープ開発などが行われた。また、1968年、原子力発電所をジャーヴィス・ベイJervis Bayに建設する計画が立てられたが、これは数年で挫折してしまった。

 世界的規模で広がる核開発に関する論議のなかで、オーストラリアにおいても、輸出用ウラニウムの規制強化が重要な課題として取り上げられた。。論議において中心的関心を集めたのは、増殖炉に必要とされる濃縮ウランがもたらす金銭的利益であった。それに対して反対者側は、この処理過程に関わるプルトニウムの量や放射能レヴェル、およびその廃棄物についての懸念を表明した。

 1987年にオーストラリア核科学・技術機関(アンストウ)Australian Nuclear Science and Technology Organization (ANSTO)がAHECと交替した。

 平野孝展・藤川隆男0103