Association of South-East Asian Nation, ASEAN
東南アジア諸国連合
1967年にバンコクで結成された、東南アジアの安定や経済協力を促進することを目指した諸国同盟。結成当時の参加国は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイで、1984年にブルネイが加わる。
ASEANは、サバをめぐるマレーシアとフィリピンの争いで破綻したASA(東南アジア連合)に代わり1967年に成立した。ASEANは、ヴェトナム戦争遂行を目的とする西側主導のSEATOに対する、東南アジア地域の国々を代表する組織であり、大国とは独立した地域の国々の利害を示していくことを目的としている。しかし一方で、安全保障(特に対中国)について西側諸国と協力したり、先進国から経済的援助を求めていくことも重要な目的であった。1970年代に西側が中国との友好関係を築き始めた際、ASEANは古くから敵対関係にあった国々との関係を見直し始めた。ヴェトナム戦争後、ASEANを中立の連合として続けていくのか、より大きな安全保障連合として拡大していくのかが問題となった。ASEAN内での自由貿易やASEAN以外の国々との関税障壁の度合いも検討する必要性が生じた。
1976、77年に開かれた会議で決定された、ASEANの経済問題に関する事項や、ASEANの貿易ブロックの拡大は、オーストラリアにとって重要なものとなっている。伝統的に高関税国であるオーストラリアも、他の国々(特に日本)がASEANと親密な貿易相手国となり得る状況にあっては、ASEANに対する関税のバランスを上手く調整せざるを得なくなった。オーストラリアよりもASEAN地域が供給する資源のほうが、日本にとって魅力的なものとなっている。
ニュージーランド、韓国、日本と並んで、オーストラリアは自らをASEANの重要な利害関係国と見なしている。ゴフ・ホイットラムが首相のとき、彼はASEANとの親密な友好関係を築くことを提案し、ASEAN諸国からの輸入関税を大幅に見直した。オーストラリアにとってASEANは、安全保障においても経済面においても重要さを増してはいるが、1975年以後、友好関係の模索は一時ペースダウンした。
三木一太朗00