assignment system
囚人割り当て制度
この制度は、本来ならば政府の管理下にあるべき流刑囚を自由移民に割り当て、その労働力を利用させるシステムであり、オーストラリアが流刑地であった大部分の期間続いた。イギリス政府は多くの囚人をオーストラリアに送り込んだが、その労働力を効率的に活用することができず、またその生活を維持する費用が財政上重い負担となった。この制度は、囚人の労働力を有効に活用し、政府の負担を軽減する目的で計画された。事実、この制度によって、自由移民、役人、エマンシピストにいたるまでが、農業労働や家事労働から熟練労働までも安価に利用することができた。
1835年、ニューサウスウェールズでは、全服役囚の70%、約2万人が割り当てられていたとされる。植民地政府は、特定の業種に就く服役囚の人数、服役囚に対する雇傭者の義務、処罰などについて様々な規制の網を設けていた。1839年のニューサウスウェールズでは、土地所有者に割り当てられる服役囚の雇用人数はスライド制であった。例えば、160エイカー(65ヘクタール)の土地には2人、640エイカー(260ヘクタール)の土地に対しては8人までというものであった。熟練工はより寛大な囚人の割り当てを受けた。例えば製材工は3人まで囚人を割り当てられた。雇主は、食物、衣服、居所を供給する必要があった。ただし初期にはこれも政府が提供することがあった。反抗的な服役囚を処罰するという権限はなかった。これは治安判事裁判所に持ち込まれていた。雇主への服役囚からの不満も同様であった。服役囚はいったん割り当てられたら、雇傭主を変更することは認められていなかった。一方、雇主の中には「悪習慣」とみなされていたような「自由」を囚人に認めるものもいた。彼らは囚人が自分のために土地を耕したり、自分の家畜を持ったり、自分の雇主と利益を分配したりすることを認めた。
この割り当て制に関しては、植民地でも本国でも賛否両論があった。1830年代には常に検討課題とされた。賛成論はこの制度から利益を得ていた入植者の側から提出されたが、流刑囚を分散させるのに有効であるとか、警察費用の削減に有効であるとか、また植民地のみならず本国の財政節減にもなるといったものであった。イングランド本国での議論は、一般的な刑罰制度や奴隷制についての議論の一部を形成していた。すなわち、この制度が奴隷労働にあたるのではないかという疑問を呈していたのである。
1838年、下院に提出された流刑に関するモールズワース報告the Molesworth Reportでは、賛否両論が記載されてはいたが、結論的には刑執行としての流刑に反対の論調が支配的であった。このレポートは、割り当て制を不公平な制度であると攻撃している。割り当てられた囚人の多くは、本国の自由な奉公人よりも良い待遇を受けていることが問題とされ、服役囚の中には要職に就いている者までいることが非難された。このモールズワース報告に基づいて、囚人割り当て制度は、1840年にニューサウスウェールズで廃止され、その他の植民地でも順次廃止された。
安井倫子00