オーストラリア辞典
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Anzac Legend

アンザック神話



 連邦としての明確な建国神話を持たなかったオーストラリアに、アンザック神話はアイデンティティとナショナリズム形成のための物語として利用された。それは、1915年4月25日におけるアンザックのガリポリ上陸の日をもって、オーストラリアは初めて「成熟した」国家になった、とする考えに基づくものである。プロテスタントのある牧師によれば、アンザック・デイは合衆国の7月4日、フランスの7月14日に比肩するものであった。多くのナショナリストや復員兵は、アンザックがガリポリで流した血は国家の生みの苦しみ、誕生のための犠牲であると主張し、オーストラリアの各地に記念碑を建立した。アンザックが神聖化された背景としては、多くの戦死者、戦地が本国から遠く離れていた点、ガリポリ半島の悪天候、アンザック上陸の報告が遅延したこと、遠征の計画と実行に対する批判などを背景に、自発的に志願して従軍した兵士たちの資質が、オーストラリアの国民性を典型的に代表するものとして賞賛されたことがあげられる。イギリスの従軍記者バートレットEllis Bartlett、戦史家のビーンC.E.W.Bean、オーストラリア戦争記念館Australian War Memorial、退役軍人会Returned Services Leagueなどが、アンザック神話の普及と維持に貢献したと思われる。

 藤井秀明00