Aborigines,Aboriginals
アボリジニーズ、アボリジナル、アボリジニ
オーストラリアの先住民の総称。1970年代からトレス海峡の島民が独自のアイデンティティを主張するようになってからは、トレス海峡島民を除くオーストラリアの先住民を指す。日本語ではアボリジニと表記されることが多いが、この訳語には問題がある。というのは、この訳語のもとになった単数形のAborigineという語は、差別的であるという理由から、オーストラリアでは公的な場で用いられなくなっているからである。現在、先住民を総称して表現する場合は、Aboriginal PeopleやAboriginesが用いられ、個々の先住民はAboriginalを利用して、Aboriginal manやAboriginal womanと表記するのが普通である。おそらく、日本の訳語としては、「アボリジナル」や「アボリジナルの人々」を用いるのが、現在のところ無難なように思われる。
アボリジナルの人々は、自分たちが太古の昔からオーストラリアに住み続けていると考えている。しかし、研究者は、オーストラリアの先住民は少なくとも今から5万年前には、おそらくは10万年から5万年前の間に、アジア方面からオーストラリアに到達したと考えている。その後、ニューギニアなどとの接触を除けば、アボリジナルは、他の人類の文化とは隔絶された独自の文化を発展させてきた。歴史的に確認できる範囲では、大陸北部でのマカッサルのナマコ漁師との接触以外には、外部世界との継続的な交流は、1788年のイギリスの植民まで待たねばならない。1788年には、先住民は200以上の言語集団に分かれ、オーストラリア及びタスマニア全域に居住圏を広げていた。金属器を持たず、採集・狩猟文化に依存していたが、十分な余暇を持ち、高度な精神文化を発展させていた。家族を中心とした集団が特定の領域を占有し、その土地に対する深い知識と精神的結びつきを持ちながら、オーストラリアの多様な環境に適応した生活を送っていたのである。多くの言語集団は互いに通婚して、後にドリーミングと呼ばれるようになる類似した神話を持っていたが、自らを単一の集団であると意識することはなかった。
オーストラリアの侵略を始めたイギリス人は、すべての先住民を一括して自分たちと異なる劣等な存在であると位置づけ、先住民の土地を奪い取り、その文化や社会を破壊した。先住民は、小集団に分かれていたので、政府による大規模な軍事的侵略はなかったが、フロンティアでは入植者たちが抵抗する先住民を虐殺した。さらにイギリス人がもたらした天然痘のような病気や梅毒によって、先住民の人口は激減した。1788年に約50万から100万人と推計される先住民人口は、1920年頃には約7万人に減少した。東南部の被害はとりわけ大きく、19世紀の中葉までに、タスマニアの先住民はほぼ消滅し、ヴィクトリアやニューサウスウェールズの人口は10分の1以下になった。19世紀後半には、フロンティアが大陸北部に拡大し、先住民の虐殺、土地の収奪、生き残った先住民に対する差別と排除が繰り返された。
19世紀の末には人種主義の影響が強まる中、政府の先住民に対する統制が強化されるようになる。白人との混血の進んだ子供たちは、アボリジナルの両親から強制的に引き離され、労働者の養成をねらってイギリス的教育がほどこされ、白人社会への同化がはかられた。他方、老人や膚の黒いアボリジナルは、居留地にとどめられ、白人社会から隔離された。社会ダーヴィニズムを信じる人々は、居留地のアボリジナルはいずれは自然に絶滅すると考えていた。 両大戦間期には、南東部の先住民が白人と対等な権利を要求する運動を始めるが、先住民自身が独自のアイデンティティを主張し、それが大きな流れとなったのは、1960年代である。先住民は、ローカルなアイデンティティを越えた全国的な集団としてのアボリジナルという地位を初めて肯定的にとらえ、単なる平等ではなく、アボリジナルとしての独自の権利を主張するようになった。その背景には、国際的な先住民運動の高まりや、帰属集団を失い、汎アボリジナルとしてしかアイデンティティを示すことのできなくなった都市化した先住民の急速な増加がある。1972年にはキャンベラの国会前にテント大使館が設置され、先住民土地権の要求が行われたのは、このような動きを象徴する事件である。また、政府も先住民に対して特別の地位と特殊な権利を徐々に認めるようになった。さらに、1992年のマボ判決や1996年のウイック判決は、法的に先住民の土地権を確認した。
1996年、先住民人口は約35万人、総人口の2%を占めるまでに回復している。しかし、アボリジナルたちの多くは、失業・貧困・劣悪な生活環境などの困難に直面している。また、同化政策により強制的に肉親から引き離された「奪われた世代(子供たち)」への償いや先住民土地権は重要な政治課題となっている。
藤川隆男1101